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私はよく構造らしくないと言われます。
そりゃそうです。
私は「こうぞう」ではなく、「こういち」ですから。
線が二本足りない?ではなく、二本飛び抜けているのだと思うことにしています⤴⤴

思えば、組織事務所時代、会社の設計室に在籍していた期間は結構短く、プロジェクト室やJVなど、社外の建築家や技術の方々と仕事をしてきました。
そうした経験と環境が、私を構造屋らしくない構造屋にしたのかもしれません。

20代。
豊橋駅の改築で、豊橋駅を新幹線の上空の橋上駅舎にするプロジェクト。
他にホテルやショッピングセンターも併設していました。

名古屋にあったプロジェクトJV設計室では、3社から集まった建築・構造・電気・設備のスタッフが同じ部屋でプロジェクトを進め、構造設計を進めるための他工事との関わり合いや技術者として大切なことを学んだと思います。

30代の成田空港のプロジェクトでは、日建設計とのJVで日建設計での勤務。五十君興さん、金内さんをはじめとする五十君設計室の皆さんに多くのダメ出しをもらい、建築にこだわりを持つことを学びました。

第5サテライトのトップライトもその中で設計した一つです。

40代は多くの建築家先生とお仕事をさせていただきました。
和歌山県庁南別館では高松伸先生。
1階がピロティでその上層で免震にするという中間階免震が条件。
免震の場合、建物自体は、柔らかい免震とのコントラストが必要になり、結構固くする必要があります。
例えば免震周期が5秒だとすると、建物自体の周期はその1/5、1秒以下に抑える必要があると思っています。
この建物は、平面規模がそれほど大きくないので、建物を固くするためにブレースや壁を入れるとかなり使い勝手が悪くなるので、建物のファサードを利用して建物を固くすることを高松先生に提案しました。
フラットバーのブレース
これを格子状に組んで「耐震ラチス」と名付けて高松先生にプレゼンテーションしました。
先生は気に入ってくれて、これで押そう、となり、プロジェクトが進みました。

先生といろいろ話しているうち、1階のキャノピーの天井も、ファサードから連続するワッフルスラブで行こうという事になりました。
私としては、こんなに提案を聞いていただいて、えっ?本当に良いのですか?という感じでした。

高松先生とはその後も、小田原城ホールの第一回目のコンペでご一緒させていただき、水盤の中で免震を行い、水の力も利用する「お堀免震」や、耐震ラチスをハニカム形状にした、石垣ファサードなどを提案し、最終審査の一般公開プレゼンテーションまで進みました。
惜しくも一等は山本理顕先生でしたが、私としては、「負けていない。戦える」と思ったプロジェクトでした。

神戸空港では、栗生明先生とお仕事をさせていただきました。
栗生先生は、LOHAS AIRPORTというコンセプトをたてられ、私は???だったのですが、LOHAS = Lifestyle of Healthy and Sustainability = 「健康で持続可能な生き方」を象徴する空港のコンセプトを実現すべく、いろいろ考えました。
結局、構造設計として一番LOHASに貢献できるのは、資材量を落とす事との結論に至り、次の2つの計画で近年の空港ターミナルで最も経済的なものとなりました。

杭の代わりに、セミフローティング基礎(建物重量が掘削土の重量より少しだけ上回るべた基礎、掘削や周辺地盤の沈下によるリバウンドが抑えられます)を採用して、杭工事と汚泥を削減。
耐震性が高い方杖を柱と梁の接合部に設置して、耐震性を向上し、更に、柱・梁断面を縮小。
栗生先生とは、あまり直接お話をすることはありませんでしたが、今では当たり前になっているLOHASのコンセプトを15年前に取り組めたことは非常に良い経験になりました。

羽田空港国際線では、JMAの光井純先生、クラーク・ペリ先生とご一緒しました。お二方とはその後、提案業務や技術支援で二回お世話になりました。
羽田空港国際線では、光井先生、ペリ先生が描く「空の空港」を実現するべく、空と筋雲の天井をいかに実現するか、筋雲というからには、空で切り取られるように構造を作りたいと考えました。

私は、切り取られた空を象徴するトップライトの下端に横断する梁を設けず設計しました。
実は、屋根平面の一体性が切れてしまうため、構造的には結構難しい、というか、タブーへの挑戦でもありました。
様は、80m×150mの大きな屋根版がところどころスリット状に穴が開いている状態なのです。
当時の上司からは、とにかく、「梁でつなげ、本当はブレースも必要な開口だぞ」などと怒られ、「それでも構造屋か‼」と叱責もされました。
私は、トップライトの三角形の骨組みで穴を繋げることを考えていました。屋根面の安定に効果が出るように、部材断面を変えたり、接合方法を変えたりのTRY&ERROR。この解析で証明できれば行ける、最悪の条件設定しても安定しているから大丈夫だ、というところまで詰めて、何とか上司の承認ももらい、プロジェクトを進めることが出来ました。
さすがにこの時の「それでも構造屋か‼」には、「こうぞうではなく、こういちです」で返すことはできませんでしたが。

この国際線ターミナルの4階には江戸小路という、テーマパークのようなショッピングタウンが有ります。
全体のデザインとチェックインロビー側の昭和モダニズムの設計を岸和郎先生が、奥の江戸時代の町屋を中村外二先生が担当されました。
江戸小路の構造も私が担当させていただきました。



江戸数寄屋や板築壁で構成される江戸小路ですが、構造は鉄骨です。
4階にある屋内屋なので、地震の揺れは地上の約5倍となります。
木造ではさすがに難しいことと、耐火処理した構造用木材は美観も悪く高価でもあるため、岸先生、中村先生との打ち合わせで、鉄骨造とすることが決まりました。
構造の方針はそれほど難しくはなく、木造の枠組工法のように鉄骨ブレース付きフレームを作り、それを大壁にして板築や数寄屋の木壁、しっくい壁を作る。耐火屋根をALCで作り、その上を瓦や板葺きで仕上げる、という事となりました。
設計は、かなりたいへんでしたが。

あらかたの構造が決まったので、岸事務所での打ち合わせ。
先生は不在で、スタッフの方との打ち合わせでした。

柱の位置や、ブレースを入れる枠組み壁の位置など、ほぼ大丈夫だったのですが、壁から独立した柱で思い出深いことがありました。
上の写真の¥マークのサインがある円柱です。
この柱は構造的にはそれほど重要ではなく、無くすことも可能だったのですが、建てるとなると鉄骨の納まりとかで断面をそんなに小さくできないなぁと思っていた部分でした。
スタッフの方にサイズを聞かれ、150角で考えていますと答えました。
すると、
ひゃく・ごじゅう~?
無垢材を使ってもよいから、円柱で80Φ位でやってください。
私は、岸先生のイメージを忘れた答えを出していたことを反省しました。

持ち帰り、80Φの鋼管で問題がないことを確認して、スタッフの方には報告しました。
岸先生には、その後、先生が掲載されているARCHITECTURE NOW!にサインをいただきました。

岸先生には、建築家の想いを構造にすることを、中村先生には合理性の大切さと匠の技を教えていただいた経験となりました。

私の建築家の方たちとの出会いはまだ続きます。
続きは次回をお楽しみに。

CODESIGN STRUCTURES は30年にわたる、建築家先生との協働にもまれた構造設計の経験で構造設計を通じて皆様に誇りと笑顔と安心をお届けしてまいります。
もちろん、話を聞いてみたい程度のことでも構いません。初業務も終わり、スケジュールの空きもありますので、まずはお問合せのほどお願い申し上げます。
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